2022年 春に思う

2022年2月羽木公園2022年の新年、立春は過ぎ、春の日差しさえ感じられる時節になりました。
年明けは、東京を代表する明治神宮に始まり、三浦にある「走水神社」と、霊験あらたかなお宮を訪れ、清々しい新春を迎えることができました。2月、立春はその字の通り、春が立つと書きますが、底冷えするような寒さの中に古い自分の殻を脱ぎ捨て、新しい自分に生まれ変わるための出来事がありました。ある物事の終わりは、新しい物語の始まりです。

そんな刹那のなかに生きる私たちですが、一つの真理に行き当たりました。
それは、「人間はこの世で起きることがすべてではない」ということです。

例えば、あなたに愛する人がいたとします。この世がすべてであれば、あなたにとって唯一無二の女性、あるいは男性とあなたが結ばれることはあなたにとっては必然であり、どんなにたくさんライバルがいたとしても、あなたはその人たちを蹴落としても勝ち取らなければならないと考えるでしょう。たった一人の人と結ばれるために…。しかし、実際にはどうでしょうか?相手にも自由意志があり、また日々、様々なことが起きるなかで、自分や、自分たちだけではどうにもならないことがあります。人は強く思えば、実際の行動に現れ、また、強い念によって相手を自分の元に手繰り寄せてしまうというようなことも可能です。

しかし、あなたの好きな人が一時的に、あなたに思いを寄せることがあったしても、「自分の人生で本当にやりたいことを実現するためには私に相応しい相手は誰なのだろうか」と考えたとき「この人ではない」「もう一人、気になっていた別の人だ」ということに気づく、というようなことがあれば、あなたはやはり失恋してしまいます。この世では、どうにもならないことがあることを、思い知らされるのです。

昨今、LGBTQが社会テーマになることがありますが、大半が解決のつかないことなのかもしれません。どんなに頑張っても、自然に子どもを作ることはほとんどが不可能でしょう。諦めることが一般の男女のカップルの何倍にもなるのかもしれません。

LGBTQさらに、国のレベルに置き換えても、民族や宗教対立、隣接する国同士の領土問題があります。またある国に生まれたものは富み、ある国に生まれたものは一生貧しく生きていかなくてはならない。そんな不公平な現実が起きているのが私たちの世界です。もしもこの世の数十年間の人生だけで完結するのならば、私たちは、何があってもこの世において自己実現をせねばと考えるでしょう。そこには正しく愛するということ、執着を絶って物事を見る、ということがどれだけ可能になるでしょうか?何が何でも「得たい」という気持ちが強ければ、弱肉強食の、自我我欲にまみれた世界が展開されることでしょう。転生輪廻を信じることができなければ、この世は結果を求め続ける世界になってしまいます。いつまでたっても終わりのない、競争原理の中を生き続けていくことになるのかもしれません。

この世の世界は不完全です。この世で完結しなかった縁は来世に持ち越し、叶わなかった夢、成長は来世に持ち越す、と考えた方がどうしても自然であり、この世における不条理には説明がつくように思うのです。この世で解決できないことがあるからこそ、人は皆、真実の、自分の人生に目覚める時が来るのではないでしょうか。

良い意味での”諦め”はあって良いと思います。ただ、せっかく与えられた命、やっと生まれてきたのですから、何があっても、どんな障害があったとしても、そこに自分の人生の意味を見出して、何か人に語れるものを持って、あの世に持って帰りたいものだと思います。

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