自由を求めて コロナ対策は大らかに生きることと知る

自由な呼吸

2021年7月30日。オリンピック真っ盛りで書きたかったことは山のようにあるのですが、ペンが走らず(格好つけた言い方で)受託のお仕事を小脇に抱えつつ、暑さのせいかグータラしております。

それでも朝はジムに行ったり軽めのストレッチをしたり、夕方はご近所に買い出しに出るなどでそれなりのルーティングの中、ささやかな気づきや感動を覚えたりして日々つつがなく暮らしております。

しかしこうも暑いと東京を脱出したくなりますね。
というか、なんでしょう。1度しかないこの時間。たとえ1年だから、コロナ禍の2年目だからといって新しい発見や感動が待っているかもしれない旅や、故郷の家族との交流を諦めて良いのでしょうか?

齢50年以上生きてきましたが、いまどう考えてもときめくような時間を過ごす、毎日がキラキラするような時間を生きることが人生の意味といっても良いくらい大事なことだと思うのです。大学生やもっと下の世代の子供達にとっては、この失われた1〜2年がどれ程の意味を持つものだったでしょうか?人生から輝きが失われたような時間だったかもしれません。

今回のコロナ騒動につきましては、昨年の4月から一貫して私は「日本はパンデミックにはならない」と申し上げてきました。

実際に欧米やインドで数十万単位の人が亡くなられても日本では累計1万5千人です。この死亡者数という数字も日本では、コロナが陽性であったということだけで病院では、別に死因があったとしてもコロナ死とされることから実際にはもっと低い数字であると考察されます。

オリンピックの開催直前から、デルタ株に置き換わり、ここ数日は日本全国で1万人が感染者になっているということですが、それでも日本は欧米に比べてさざ波という言葉がふさわしく、感染者は増えてはいるものの、重症者数や、死亡者数はこの1月〜2月ヶ月の間に一桁にで下がっています。これが免疫を獲得してきているのでなければ何でしょうか?

以前から、日本固有の特性があり、大阪市立大学の井上正康先生や、精神科医の和田秀樹先生が「東アジアでは何度も土着のコロナウイルスに感染してきたから免疫が形成できているのではないか」といった仮説を理由としてあげられています。

私自身が信頼している先生方のオピニオンと、いま、政府をはじめ責任ある立場にいらっしゃる分科会の専門家が標榜される感染対策とでは大きな開きがあるわけですが、この件につきましては井上正康先生には取材をさせていただき、そのインタビューをYouTubeに3本公開しました。しかし、YouTubeの規範に違反していると、何の修正提案も断りもなく削除されてしまいました。こうした言論統制が大手プラットフォームで行われていることは政治的偏りの賜物であり、彼らが医学的な判断できないにも関わらず、一方にあるオピニオンを完全に抹殺してしまったことには失望を禁じ得ませんでした。

しかし、政府や地方自治体が「緊急事態宣言」を発出しても人流を止められるなくなっていることから、皆、人流抑制とワクチン頼みの感染対策は本当の意味での感染対策ではないということに気づいてしまった状態なのではないでしょうか?少なくとも政府発信、専門家の発信は鵜呑みにはしないぞという若い世代の思いを感じます。50代を含めてですね。

ー長くなりました。
今日は、最初に書こうと考えていたことからは脱線してしまいましたが、つい思いのまま綴ってしまいました。

私自身が経験してきたことや取材して気づいたこと、インタビューをして得た有用と思われる情報は、多くの方に届けたいと思います。この1年半ワクチンについても語りたいこと、語るべきことはたくさんありますが、それはまた別の機会に譲りたいと思います。

今日、お伝えしたかったことは「人生は短い。もう2度と戻ることのない時間をどう生きるかは決めるのは自分次第」ということです。コロナという病気の本質を知って、一人一人が賢く対処してほしい、ということです。

日本には、温泉、日本酒、茶カテキン、コロナの感染を防ぐというエビデンスのある食文化や生活習慣が日常にあるのです。これを機に日本人に生まれたことに感謝して、できる限り、自分にも他人にも寛容でおおらかに、免疫の上がる生活をしていれば、いつか、コロナなど関係なくなっていくのではないでしょうか?

あくまで自分自身にセンシティブに身体を守る行動をとってくださいね。その上で自由に経済を回していきましょう。

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