桜舞い散る頃に

高井戸公園

2022年4月4日、昨日の穏やかな天候から一変し、花散らしの雨が昨夜から降り続いています。

今年は思わず近隣で良い桜に出会うことができました。以前、大きな桜の木のあった公園を思いだし、近くを通ってみたのですが、その公園は閉鎖されていたものの、向かい側に新設された公園があり以前と変わらない大きさの桜が出迎えてくれました。すっかり新しい公園のことを忘れていたのですが、広がる景色に思わず心が緩みます。

ふと、この桜を愛でる気持ちがあれば、たとえ恋人(あるいは伴侶)が死んでも、生き別れても、必ず人は再生するのではないか、という思いが湧き上がってきました。桜を見ては、なぜ、こんなにも鮮やかに散ってしまうのだろう、と思わずにいられないのが私たち日本人です。「散り際の美しさ」に思いを重ねるのは私たちと桜の木にある同一性なのかもしれません。

来年はきっとまた違うどこかで桜を見ていることでしょう。

高井戸公園

先日は、井の頭恩賜公園でも満開の桜を光が落ちかける頃に見に行きました。

若い人を中心に老若男女で溢れていました。最近は、夫婦別姓だとか、ジェンダーフリー、LGBBTQなどで伝統的価値観が薄まっている、けしからんと見る向きも保守層にはありますが、私はそんなことはないと思っています。意外にも今の若者は保守的です。一部の人がイシューとして現状変更を試みようとしても、一部の人の価値観であって、大きな日本の流れ、家制度は変わることはないと私は見ています。

それが良いとか悪いとかではなくて、私たち日本人に流れるDNAなのだと。1年に1度しか咲かない桜の開花を待ちわび、愛で、そして「また来年もこの桜が見れますように」と祈るような思いで一瞬のこの時を終える。そんな風に脈々と流れる美しさが千年、二千年と繋がった桜のように生きているのが私たち日本人の本質なのではないでしょうか。

さて、来年はどんな桜に出会えるのでしょうか。

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